気取った道化に価値は無い


「此処で間違いないですよね?」
 王泥喜にそう問われ、成歩堂は首を傾げた。
「わからないなぁ。だって僕目隠しされてたし、そうなんじゃないかなぁ。」
 途端に、ボスッという鈍い音が成歩堂の背後から聞こえる。斜め上に視線をやれば、王泥喜の真横の壁がへこんでいた。
 視線が絡むと、明らかに目が笑っていない。

「…ですよね。聞いた俺がアホでした。」

 無理矢理に上げた口元も歪んでいる。可愛い顔して、彼は意外に短気だ。
壁と反対側に設えられた手摺に腕を掛け、成歩堂を前に、地下に向かって伸びている階段を下りるように急かす。
「だったら、さっさと入りましょう。ほら、早く。」
 ぐいと前に突き出され、よろけて数段降りた成歩堂の鼻面には扉があった。従業員通用口と書かれた鉄の扉は普通に指で押してもびくとしない。
「開かないよ?」
「レバーを引かなきゃ開くわけないでしょ…!」
 成歩堂の背中から伸ばされた王泥喜の腕が、ノブを掴むと同時にガチャリと音を立てて下がった。と、同時に苦もなく扉は開く。
 てっきり鍵でもかかっていると思っていたが、大人ふたりの体重を乗せたそれは、あっと思う間もなく全開し、成歩堂と王泥喜を招き入れた。
 予測もなく開いた部屋に向かって、転がり込む。バランスを崩し、床へ倒れ込んだ成歩堂に、罵声が飛んだ。

「なんだお前…!」

 室内は蛍光灯で明々と照らされ、ピカピカの床に突っ伏しているのに気付いた。
 顔を上げれば、いかにも柄の悪そうな男が三人自分を見下ろしている。
愛想笑いを浮かべて視線を逸らせば、壁に沿って高く積まれた椅子が記憶と一致する。胸元に潜ませた勾玉をギュッと握りしめた。
 未だに床に寝ころんでいる自分に迫る男に、成歩堂は声を張った。

「牙琉検事は此処にいるのか!?」
 
 返答などなくても、暗くなる背景に大きな鎖と鍵が見えれば、それは確信に変わる。
 響也は此処だ。

「成歩堂さん!」
 急いで駆け込んできた王泥喜に、男達に気付き脚を止めるのと同時に、成歩堂は叫んだ。
「行け!王泥喜くん1号!!」
 指さした先は屈強の男達だ。成歩堂の声に反応した男は、パッと反射的に王泥喜に向かう。その間に、成歩堂は両手でもって、勢い良く立ち上がった。

「俺は戦闘員かっ!!!!」

 一瞬の怯みをみせるものの、王泥喜は男を蹴り上げる。
 まともに顎に入った蹴りは、相手の身体を壁に叩き付けた。壁に貼り付いたゴキブリの様にズルズルと床へ倒れ込む仲間を見た男達の頭は一瞬で沸騰したらしい。
成歩堂の事などすっかりと頭から抜け落ちた男達が、王泥喜に踊りかかるのを横目に、向かい側の扉へと全力疾走する。
 ノブを回せば、これまた素直に扉は開いた。
 正に戦闘状態に陥っている王泥喜に両手を合わせてから、成歩堂はさっさと部屋を逃げだした。



 扉の前には絨毯の敷かれた長い廊下が続いていた。時間も時間だけに薄い照明しか灯されていないが、両端に木造の引き戸が数個交互に並んでいる。先は玄関に続いているようで、受付のカウンターらしきものが見えた。
 鼻を擽る線香の香りに此処が祭儀場であることを改めて認識する。
それでも見渡す限り人影はないから、閉ざされた扉の中に響也は監禁されているのだろう。
 廊下に飛び出しそうになる脚に、成歩堂は必死でまったをかけた。
響也や王泥喜が評するほどに、自分は飄々となどしていない。若い頃にくらべて、思考と行動の間にワンテンポ空きを作る事を覚えただけだ。
 大切なモノを守る時、只がむしゃらに突き進むだけでは成し得ないのだという事に
気付いたのは、皮肉な事に響也との法廷ではなかっただろうか。
 胸がじれて、成歩堂は着ているパーカーの胸ぐらをギュッと掴んだ。此処まで来ているというのに、決定的な証拠がない。部屋をひとつづつ開けるなんて事をしでかせば、中にいる人間には確実に気付かれる。
 王泥喜くんという犠牲を無駄にする訳にはいかないじゃあないかと、ひとつ頷く。

 …そうだ。千尋さんが好きだった映画でそんなシーンがなかっただろうか…。

 亡き師匠が残した遺産を見た記憶を蘇らせる。
ピンチに陥った主人公は、こうして壁にへばりつき…成歩堂は記憶にある姿をトレースする。 そろそろと進みながら、ゆっくりと手を伸ばす。
 数歩、蟹のようにだった成歩道はお目当てのものが指先に触れたのを感じて、動きを止めた。拳を握ると、大きく振り翳す。そのまま、勢いよく壁に叩きつけた。
 プラスチックが割れる衝撃と同時に、空気が震える。
次ぎの瞬間、火災報知のけたたましい音が建物中に響き渡った。


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